みけ猫のロック

駆け出し漫画家と、占星術な日々

私の幸福論は、自分の欲望に正直になれ!ってこと

デビュー作のテーマは毒親問題がメインだったけれど、一番伝えたかったことは「自分の人生を生きる」ことだったと思う。

自分の人生を生きるために一番必要なことって、なんだろう。

私は、自分の欲望や欲求を知ることなんじゃないかと思う。もっと言えば、自分がどんなことに幸せを感じるかをちゃんと把握すること。自分の中にちゃんと存在しているのであれば、たとえどんなにみっともない欲望でも構わない。

欲求があればちゃんと鳴いて伝えて、コミュニケーションを取って。
猫って本当に嘘をつかない。

漫画を描く原動力は承認欲求を満たすためなんじゃないかという懸念が、ずっと自分の中にあった。

連載が決まったとき、単行本の発売が決まったとき、すごい!おめでとう!と言ってもらえる機会が増えた。おめでとうは今までの頑張りを労ってもらえた感じがして素直に受け取ったけど、すごいという言葉は素直に受け取れなかった。まだ読んでもらってないしなぁ、読んでもらって面白いって思ってもらえたら本当に嬉しいけどなぁ、なんてひねくれた捉え方をしてしまう。

だから、私が漫画を描く動機は承認欲求ではないんだろうなと思った。もちろんゼロではないとも思うけれど、少なくともメインはそこじゃない。

私の作家としての幸せ

デビュー作を連載していて一番嬉しかった瞬間は、読者が登場人物と読者自身を重ねて共感してくれたとき、だ。私の描いたキャラの心情を、自分ごととしても受け取ってもらえたときだ。そういうコメントをもらえたとき、この作品を描いてきて良かったと、やっと思えた。

正直言うと、私生活も健康も全て犠牲にしてまでこの作品を描く意味はあるのかな?なんて思ってしまう瞬間は何度もあった。一週間も家から出てない、なんてことがざらにあった一年間だった。
それでも、自分が納得いく表現を描くことができて、それを読者の方が自分ごととして受け取ってくれたときの喜びは、その全ての苦痛を上回ってしまった。だからこそ、打ち切りになってもまた次の作品を描きたいと思えたんだと思う。

作品を読んだ人に、自分ごととして捉えてもらえること。共感してもらって、深い部分で繋がったような気持ちになること。それがたぶん、私の作家としての幸せ。

思えばこれは、私が大好きな音楽に感じていることと同じだと思った。大好きなシンガーソングライターの人生や感性に自分との共通点を見つけて、勝手に親近感を覚えるような。そんな風に投影できるキャラクターを、これからも産み出すことができたら。

 

欲望や野心から、逃げない

今後どんな媒体に描いていくか、作風をどの方向性に持っていくかで悩んでいたけど、自分の欲求や幸せを満たせる方向性で一度頑張ってみようかなと思っている。もちろん売れる売れないは別問題なので、商業で描く限りは世間の求めるものとの擦り合わせもしていく必要があるのだけど。

あとこれも大切だなと思ったんだけど、もう無茶して体を壊したくない!週刊連載はかなり過酷だったので、今後は隔週か月刊に切り替えていこうかなと思う。もちろん過酷になってしまったのは自分のマネジメント能力のなさが全てでもあるので、もっと楽しく余裕を持って描けるよう、自分の作業環境やスキル、生活リズムなどを整えていく必要があると痛感することになった。
そして本当に自己管理能力に乏しいことを身を持って知ったので、ここに育児やさらなる体調不良が入ってきたら…と思うと、子どもを産むことも現実的ではないのかなと思ってしまう。少子化の昨今では肩身が狭いけれど、やっぱり私の今の人生の一番の目標って「作家として長くやっていくこと」だと考えているから。

こうやって自分の欲望に正直になればなるほど、人生はシンプルになって生きやすくなる。そこに他人の目だったり、世間のものさしだったりは必要ない。仮に私の生き方に何かお説教をしてくる人がいたとしても、その人が私の人生に責任をとってくれることなんて1mmもないのだから。

他人の意見なんて、山の天気のようにコロコロ変わるものだ。自分の人生に責任を取れるのは、自分しかいない

 

ちなみに数年前の私は、人生でやることの優先順位なんて考えたことなかった。世代が世代だから、結婚したら出産っていう流れは当たり前にやるべきことだと思っていたし、キャリアも女性としての幸せとされるようなものも当たり前に全てを手に入れるために努力する必要があるのだと思っていた(そういう狭い世界にいたという自覚はものすごく、ある)。

でも30も半ばになって思うことは、全てを手に入れるためには相当に高い能力が必要だということだ。もう若くない、体力もなくなんの実績も持たない凡人は人生の優先順位をある程度絞らないと、全てが中途半端に終わってしまう。もちろんそれでも楽しめる人はいるのだけど、どうしてもこれを叶えたいという野心や欲望がある人は、ちゃんとその野心と向き合わないとどんどん腐っていってしまう。そういう人こそ自分の人生をしっかり生きてあげないと、他人の人生を気にしたり比べてばかりの人生になってしまう。

だから、どうしても収まってくれない自分の欲望や野心とは、真正面から向き合う必要があるのだ

とはいえこういう境地に至れたのは世間体に縛られていた過去があったからであって、全ての経験は無駄ではない。社会になかなか適合できずに職を転々としていた時期も、子どもがいないことに焦燥感を感じていた時期も、私にとって決して無駄とは思っていない。自分にはできないこと、合わないことがわかったからこそ、本当に自分にできることに全力で向かっていける。そうやって過去の失敗も無駄にしないことが、きっと大切なんだ

もちろんなにを幸せに感じるかという価値観は人によって全然違うので、私の例が他の人にぴったり当てはまるということはない。ついつい正解を探しがちだけど、この世界は正解なんて存在しない問いで溢れている。

野心を持っている人はもちろん、生きづらさを感じている人も、自分の欲求と向き合ってみたらいいと思う。欲望を持っていること自体に善悪はない。他人に善悪が判断されてしまうのは、どんな行動に移したかという結果のみだ。
だから働きたくないとかできるだけ楽したいとか、ちやほやされたいとか。大声で言ったり行動に移したりしなければ、どんな欲望も等しく否定されるべきではない。どんなものでもまずは一旦、等身大の自分の欲望を受け止めてあげるのだ。

そしてその欲望をどうやったらできる限り合法的に満たしてあげることができるのか、叶えるべく試行錯誤してみる。その試行錯誤の過程こそが人生の醍醐味なのではないか。私はそう感じている。

猫たちに不自由ない生活をさせてあげ、幸せを与えもらいながら共に生きる!
これも私にとって優先順位の高い欲求の1つだったりする。