毒針と炎とマシュマロ
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
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「それ」が本当に欲しいなら、
ちゃんと欲しがれ、
それに向かって手を伸ばせ。
聞きたいのは言い訳じゃない、
心の叫び、魂の咆哮、
渇望感と初期衝動。
誰かの欲望を生きてたまるか、
お仕着せの幸せなんて願い下げ。
嘲笑われようと邪魔されようと、
己の欲望を生きてゆけ。
妬むんだったら真っ直ぐ妬め、
屈折している暇なんて無い。
良い子にしてたら報われる日は
とうの昔に過ぎている。
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失敗を失敗だと認める。
挫折を味わい乗り越えていく。
それが怖くなくなるまでやりきってみる。
自分の心の声に嘘をつかないでい続ける。
そうあるためにリスクも責任も、
孤独まですべて引き受けて、
思い切って跳んでみる。
ここ2,3年はそんなようなことを、ひたすら泥臭くやってきました。
鹿を追う者は、兎を省みない。
登り坂を登る兎になるのか
年劫の兎になっていくのかは
今の自分が選択できることなんでしょう。
2022年は内面の変化が大きい年でした。
蛹の中の幼虫がどろどろになって完全変態するように、今までの価値観がまるっと変わってしまった。
そんな変化を拒む人もたくさんいた。いつの間にか敵になっていた味方もいた。自分の望む人生を生きる、ただそれだけのことをしていくために、手放す決断をしたものがたくさんあった。
人間の習性や欲望について、考え続けた一年でした。
でもきっと私は昔から、
そしてこれからもずっと
無害そうな鈍くさそうな顔をしながら
毒針と炎とマシュマロを
心の中に隠し持って生きていくんだと思います。
本質は変わっていない。むしろ余計なものを削ぎ落として、どんどん純化されていってる感覚。
今年は表立った活動はなくなるかもしれません。
でも今まで以上に容赦なく、自分だけを生きていきます。そうあり続けます。誰の思い通りにもならない。
こんな大変な時代だから、去年以上に激動の世の中になってもおかしくはないと思ってます。だからこそ、自分を生きるかどうかが問われているかと。
すべての自分を生きる人たちにとって、実りのある一年になるよう願っています。
年末は色んな人の人生に耳を傾ける機会が多く、自分の自己開示力の欠如について考えさせられました。この投稿はその結果(0か100か過ぎて草)。
会話を通しての自己開示が下手くそだからこそ、会話以外の形での表現欲求が尽きないのかもしれませんね。
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追記(2023/07)
2023年の挨拶を書いたけど、結局表に出せずにお蔵入りしてしまっていたものでした。
一度味方が敵になると、誰が敵か味方がわからなくなって警戒し過ぎてしまう。こうした挑戦的な文章を書きたくて書くけれど、結局色々考えて表に出せないくらい、旧名義時代の私は周りを警戒していました。裏切られる経験というのは、傷を残しますね。
もっともっと素の自分を表現していきたい。そういう想いもあり、名義を変えることにしたのでした。今はこんなに素の自分で自分らしいブログが書けて、すごく楽しい。毒針も炎もマシュマロも、すべてしっかり表に出せている。勿体ないけど、名義変えて良かったなぁ。