みけ猫のロック

駆け出し漫画家と、占星術な日々

孤独になろう。脱皮していこう

変わったね、と言われる。
変わってないね、とも言われる。
変わったなと思う。
全然変わってないなとも思う。

いい意味でも、悪い意味でも。

 

 

そもそも変わってしまったと思うのは、本当に相手が変わってしまったのか。
それとも自分と異なる環境で生きるようになって、価値観が離れてしまっただけなのか。
もしくは元々見えていたものが虚像に過ぎなかっただけで、今見えているものが本質なのかもしれない。その逆もあるかもしれない。

日々めまぐるしく価値観が変わっていくけど、本質的な部分はずっと変わっていないように思う。
自分らしい方向を選び定めて邁進して、より自分らしい形に研磨していくだけだ。信念を持った生き物の脱皮や進化を、誰も邪魔することはできない。どんなに折られようとも、不屈の精神で起き上がるだろう。

脱皮や進化、成長の過程で孤独は避けては通れない。
親猫は親離れする年になると、子猫を冷たく突き放す。大人になるためには孤独を通る必要がある。信頼していたはずの身内から刺されるなんてのも、よくある話のようだ。

真の意味で大人になるために、孤独は通過儀礼なのだ。そう解釈している。



孤独の中で、等身大の自分自身と向き合うのは苦しいことだ。

華やかで甘美な優しい嘘に逃続けて自分自身を誤魔化せたら、どんなに楽だろう?
でもそんなユートピアはないことも、そうやって自分を誤魔化し続けた先にやってくるツケの大きさも、もう痛いほど知ってしまった。この世のすべての出来事はきっと、因果応報に従って生じている。


苦しみから逃げずに、孤独の中で自分自身と対峙する。

こうした作業を通して自分らしさを世の中に押し出していくことに、きっと意味はある。見ていてくれる人は必ずいるということだ。自分を主張しなければ人間関係に波風が立つことはないけれど、自分を主張しなければ自分の本質を見てくれる人にも出会えない。


住んでいる町の新しい図書館の郷土資料コーナーに、大変丁寧にコーティングされた自著が陳列されていた。
よく行くお店や初めて行ったお店に、自著が飾られていた。
都会の巨大な書店では入荷すらしていない自著が、足を運ぶいくつかの書店では特設コーナーや手書きのポップで賑やかに宣伝され、平積みされていた。

地元の人間ではないのにと恐縮してしまうと共に、こういった場面に立ち会う度にいちいち感激してしまう。自分の立ち位置なんて痛いほどわかっているつもりだけれど、拙くても荒削りでも、作品や過程を見て応援してくれる人がいるということ。私の描く物語はすべてフィクションだけど、そこに流れる思想や人間らしさに気がついて汲み取ってくれる人もいるということ。

まだまだそうしたご厚意に報いるだけの実力が足りないけれど、私は私にできることすべてを使って地域や社会に寄与していきたい。これは一般的な幸福とされるものを素通りしてでも達成したい、私の明確な人生の目標。

 


幸運や時の運だけでなく、常にそうした役割を担い続けるプロとしての実力をつけるため、現在は産みの苦しみを存分に味わっています。

旧名義の活動は引き続きしばらくなりを潜めることになるが、どのような形であれ今後もこの仕事を通して社会に関わっていけたらと思っている。

いつもありがとうございます。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。