みけ猫のロック

駆け出し漫画家と、占星術な日々

私の幸福論は、自分の欲望に正直になれ!ってこと

デビュー作のテーマは毒親問題がメインだったけれど、一番伝えたかったことは「自分の人生を生きる」ことだったと思う。

自分の人生を生きるために一番必要なことって、なんだろう。

私は、自分の欲望や欲求を知ることなんじゃないかと思う。もっと言えば、自分がどんなことに幸せを感じるかをちゃんと把握すること。自分の中にちゃんと存在しているのであれば、たとえどんなにみっともない欲望でも構わない。

欲求があればちゃんと鳴いて伝えて、コミュニケーションを取って。
猫って本当に嘘をつかない。
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悲しみを味わい尽くすようにしている

春の気配を感じたから、ほぼ日が沈んでから外に出る。今日はよく晴れていたけれど、徹夜明けで締切間近だったから暗い部屋に缶詰めだった。マスクを外して満ちてきた春の匂いに、足取りが軽ろやかになる。コートは着ないけど、寒くない。6時半だけど、まだ薄暗い。ようやく春がこの島にやってくるらしい。

冬が本当に苦手なので、毎年春の気配を確認するたびに「今年も生き延びたなぁ」と言う気持ちになる。それくらい、春は私にとって希望。

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向上心を持てる環境、そうでない環境

その昔、超零細ブラック広告代理店のグラフィックデザインの仕事に未経験で飛び込んだことがある。どうしてもクリエイティブな仕事に方向転換をしたかった頃。まともな会社で未経験で雇ってくれるところなんてなかったので、20人程度の規模なのに私が働いた2年間で12人も辞めるような入れ替わりの激しすぎる会社だったんだけど。

初出勤するも、納期に追われて手一杯な先輩方は私に一からイラレ(デザインソフト)を教える余裕なんてなく。助言をもらいながら、使い方を検索してイラレを覚えていくというこの上ないオン・ザ・ジョブ・トレーニング(思えば会社員時代は新卒の頃からずっと前線にいて、まともな研修を受けたことがない。新卒でJTCでの就活を失敗したゆとり世代の末路である)。

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どうして漫画を描いているのか

「表現しないと死んでしまう」2021年8月某日の日記より

例えば歌の上手い歌手よりも、自分で作詞作曲をするシンガーソングライターが好き。きっと私は技術云々よりも、その人の持つ感性に興味があるんだろう。


表現活動をしないと死んでしまうと思っていたけど、現実にはたぶん死なない。でももし表現を辞めてしまったら、表現を生業にしている人たちに対する嫉妬や劣等感できっと腐ってしまう。死んだように生きるようになってしまう。

そんな気持ちからグラフィックデザイナーになり、一から産み出したくなって広告イラストと広告漫画の仕事で独立して、最終的には作家になりたくて広告仕事も全部断って、自分の作品を描くことに集中した。履歴書がぐちゃぐちゃどころか、私のキャリアは軌道修正ばかりだ。

飽きっぽいから、これからも形を変えてしまうのかもしれない。それでも今は作家の仕事を頑張りたいし、表現すること自体は一生続けていくんだろうなと思う。あくまで趣味ではなく仕事にしたいとこだわるのは、できるだけたくさんの時間と労力を注ぎ込みたいから…というのもあるけど、やっぱり一番は劣等感なのかもしれない。そして表現をやることが、自分のモチベーションや適性を最大出力できるという意味で、なんだかんだ仕事にしちゃった方が人生のコスパがいいのをわかっているからなのかもしれない。

これを書いたときから変わったこと:2023年9月、追記

この日記を書いたのは、初めての商業連載が始まった直後だったかな。

2年が経った今、もう劣等感をモチベーションにはしていないように感じる。打ち切りになりながらもまずは一作がむしゃらに描き上げて、世に出して、批判も共感もたくさんのフィードバックをいただいて。ある意味承認欲求が満たされたというか、吹っ切れたのかもしれない。自分の今の実力はこんなもんなんだなっていい意味で受け入れられたし、そもそも評価されるということにそれほど価値を感じなくなった気がする。評価以上に大切なものがあるって気がついたのかも。

次の漫画でやりたいことは、もっともっと読者に喜んでもらえる作品が描きたい。好きになってもらえるキャラを描いていきたい。自分の納得できる表現ができるようになりたい。出版社に対して利益を出してお返ししたい。プロとして、対価に見合う仕事をしたい。できれば一生、自分の人生で感じたものを表現して喜んでもらえるような仕事を続けていきたい。
多いな。でも、ざっくりそんな感じ。視点が自分の中から、より他者の方へ広がっていった感じがする。道楽や自己満足じゃなくて、もっと社会の歯車としてちゃんと役に立っていきたい。

未だに原稿を描くのは苦しいし、モチベーションがどこにあるのかはうまく言語化できない。
でも、いろんな仕事を転々としてここに流れ着いて。自分にはこれくらいしかできないんだろうなという気もする。もはや表現と無縁な世界になんて戻れない。お金を稼ぐという物理的な「生きるため」と、心が「生きるため」。その最大公約数が今は漫画なんだろうなと思う。
それがわかって、ある意味観念した気持ちがあるからこそ、苦しくてもやれているような気がする。もし20代のときにいろんな仕事を経験していなかったら、もっと輝ける場所がある!とか思って永遠に自分探しをしていたかもしれない。たくさんの仕事選びを失敗して、間違えて、履歴書がぐちゃぐちゃになったからこそわかることもあるんだなぁ。

表現しないと(心が)しんでしまう、それは今でもずっと感じている。せっかくお金をいただきながら挑戦できる機会に恵まれているのだから、引き続き全力でやって応えていくしかない。

世間の考えるキラキラとは違うのかもしれない。それでも私は私の思うキラキラを、きっと一生追いかけていく。

世界中から、ゆるされたい

『「やさしい世界」をつくりたい』

そんなことを豪語していた。

恐れ多くも、もっと寛容な社会を作りたかった。「普通」とされることができない人を責める空気だったり、全て自己責任にしてしまう風潮が苦手だった。もっとみんなそれぞれの背景にある事情を想像して、汲み取れるようになったら良いのに。そんな無謀なことを、本気で考えていた。

 

 

マジョリティになりたかった

そんな風に思うようになったのは、自分がだいたい「責められる側」の人間だったからかもしれない。昔からマジョリティに属することができずに、生きづらさを感じていたからかもしれない。いつだって私は輪の中心にはいられなかった。

 

最近、ADHDのグレーゾーンだと心療内科で診断をもらった。確かにADHDについて調べれば調べるほど、当てはまることや思い当たる節がありすぎる。ダメな人間だと言われたり、ダメ人間ゆえに切り捨てられたりしてきたことも何度もあった。何より自分が一番、自分のことをダメ人間だと責め続けてきた。でもそんなダメな部分がADHDの症状だったりして、自分を責め続けてきた私は涙の出る思いだった。ああそうか、元々脳の作りが普通の人と違うから、出来ないことが多いんだな。

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