みけ猫のロック

駆け出し漫画家と、占星術な日々

世界中から、ゆるされたい

『「やさしい世界」をつくりたい』

そんなことを豪語していた。

恐れ多くも、もっと寛容な社会を作りたかった。「普通」とされることができない人を責める空気だったり、全て自己責任にしてしまう風潮が苦手だった。もっとみんなそれぞれの背景にある事情を想像して、汲み取れるようになったら良いのに。そんな無謀なことを、本気で考えていた。

 

 

マジョリティになりたかった

そんな風に思うようになったのは、自分がだいたい「責められる側」の人間だったからかもしれない。昔からマジョリティに属することができずに、生きづらさを感じていたからかもしれない。いつだって私は輪の中心にはいられなかった。

 

最近、ADHDのグレーゾーンだと心療内科で診断をもらった。確かにADHDについて調べれば調べるほど、当てはまることや思い当たる節がありすぎる。ダメな人間だと言われたり、ダメ人間ゆえに切り捨てられたりしてきたことも何度もあった。何より自分が一番、自分のことをダメ人間だと責め続けてきた。でもそんなダメな部分がADHDの症状だったりして、自分を責め続けてきた私は涙の出る思いだった。ああそうか、元々脳の作りが普通の人と違うから、出来ないことが多いんだな。

でもこんなことを書いたところで、大多数の人には「それは甘えだ」と言われるんだと思う。グレーゾーンだからなおさら。そうだよね。みんな頑張ってダメな部分を克服して生きてるもんね。頑張ってるつもりでも克服しきれない私は、努力不足なのかもしれないよね。

金銭管理が出来なかった。イラストと漫画の仕事を頑張りだしたら家事が疎かになっていった。結果結婚からたった1年半で、夫は離婚を希望した。100%頑張ってなかったよね?と言われた。私は私なりに、頑張っていたつもりだったんだけどなぁ。

なんとか離婚を回避したくて、友人たちにたくさん相談した。すっかり自信を喪失していた私に友人たちは「大丈夫、あなたには良いところがいっぱいあるよ。クリエイティブな才能だってあるじゃない」そう言ってくれた。多分本気でそう言ってくれた。

でもそれ以外の私の良いところを、私は人から聞いたことがない。ねぇ、クリエイティブな才能があったって、「普通の」結婚生活を送る上では何も意味を持たないよ。それに大した才能なんてないことだって、本当は知ってる。才能がなくても続けてればきっといつか夢が叶うと勝手に信じてやってるだけ。そう言ってくれた友人たちのように「普通」の道が歩めないから、得意なことを頑張るくらいしか道がなかったってだけ。

夫は私に義母のような完璧な専業主婦になるか、それが出来ないなら平均的な年収を稼ぐ仕事をしてほしかったみたいだ。それが出来なかったから落第。
荷造りをしているときに、大学生の時の日記が出てきた。元彼に振られた時の記録が書いてあったのだけど、「お前はダメな人間だと言われた」と書いてあった。ああやっぱり私はダメな人間なんだな。いつだって余裕がないくらい一生懸命なのに、なんでかな。いつだって夢中になった一つのことくらいしか出来ない。

 

懸命に生きてるのに、認めてもらえない。受け入れてもらえない。怒られて、がっかりされて、捨てられる。なんだかずっとそんなことの繰り返しだったように思う。

 

 

やさしい世界がつくれない

『「やさしい世界」を作りたい』


そんなことを豪語していた。
恐れ多くも、もっと寛容な社会を作りたかった。もっとみんなそれぞれの背景にある事情を想像して、汲み取れるようになったら良いのに。

そんな風に思っていたのに、私は自分を責める夫に怒りの感情を抱いてしまった。義父に電話してまで「離婚させた方がいい」と介入してきた知人や、相談と称して夫と二人きりで会い続けた女友達。そうやって私たちの家庭を壊しに来た第三者のことが許せなくなった。その人たちのことを思うと血管が震えるほどに初めて腹の底から人を憎んだし、⚫️んでしまえと思った。今までは気にも留めなかった芸能人の不倫に対して、自分のことのように怒っている自分がいた。こんなの、不寛容じゃんね。私。


『やさしい世界を表現しきれてないですよね』

同業者にそう言われた時、なんだコイツと否定されたことに対しての嫌悪感を感じると同時にグラついた。
たしかにこんなに人を恨んだり、怒ったりしている私は「やさしい人間」ではないな。どの口がやさしい世界なんて言ってるんだろうな。

私は作品が描けなくなった。
あんなに叶えたいと思っていた夢が、よく分からなくなってしまった。

 

 

やさしさって、なに?

この話をある友人にしたら、こんな答えが返ってきた。

「あなたにとってのやさしい世界って?」
「そもそも、どうしてやさしい世界を描こうと思ったの?」
「本当にそれを描きたいの?」

私は言われたことを深く掘り下げてみたくて、紙に書き出してみた。

作品を描き始めた頃、私はもっと寛容な社会を作りたかった。今弱っている人やどん底にいる人の気持ちに寄り添って、救いや安心を感じてもらえる存在になりたかった。あったかいお茶を出すような。

今の私にも問いかけたけど、やっぱりやりたいことは変わっていなかった。誰かの弱っている心に寄り添いたい。かわいいキャラクターで笑顔と癒しを届けたい。
なんでそんな世界を描きたいと思ったのか源流を掘り下げると、ロックバンドの存在があった。思春期から、私の気持ちが落ち込んだ時、ロックバンドの曲がいつも隣にいてくれた。彼ら彼女らの作ってくれた曲が、歌詞が、私の気持ちに寄り添って救ってくれた。それは今でも変わらない。

明日ダメでも明後日ダメダメでも私を許して それがやさしさでしょう?
チャットモンチー /やさしさ)

 

チャットモンチーのえっちゃん(ボーカルの橋本絵莉子さん)が書いたこの曲が好きだ。好きというか、支えだ。曲の後半はこのフレーズだけを何度も何度も繰り返し歌い続けるのだけど、つぶやきから歌へ、歌から叫びへと変わっていく。えっちゃんの叫びが、私の叫びと重なる。こんなにダメダメな私だけど、どうか受け入れてほしい。私と一緒にいて。どこにも呆れたりしないで 。

書き出してやっと理解した。私がつくりたい「やさしい世界」はこの歌詞と一緒なんだと思う。汚い部分もダメな部分も、全部包んで許してくれるような、そんな世界。きっとそれが、私の考えるやさしい世界。

きれいごとでしょ、理想郷だねって声が聞こえてきそう。実際私もそう思う。それにどんな手段でこの理想を表現していけばベストなのか、確信の持てる方法がまだ見当たらない。

 

 

本当は自分を救ってやりたい。ゆるしてやりたい。

誰かのためとか偉そうなことを言ったけれど、たぶん私は自分を救ってやりたいのだ。世界中から許されたいけど、自分で自分を許して認めてあげたいのだ。自分で自分を責めた一番古い記憶は4歳。26年間、自分で自分を責め続けてここまで来てしまった。

だからもういいよ、って自分で自分に言ってあげたい。
でも今のままじゃ、まだ言ってあげられないみたいだ。

私の人生はきっと、自分を許すための旅なんだ。私の好きな私になりたいよ。だから作品を描くし、ADHD的特性とも向き合おうとしている。できてないけど、ダイエットもしなくちゃ。
でも一番はやっぱり、たくさんの人に愛されるキャラクターを作りたい。絵でも漫画でも、たくさんの人がプラスの気持ちになれるような作品を描きたい。それをなし得たら、私は私のこと大好きになれるんじゃないかなって思う。


やさしい世界かどうかわからないけど、エゴまみれだけど、世界中からゆるされたくて私は漫画と絵を描いている。

そんなみっともない、負け犬の遠吠え。

 

 

※注釈
離婚の具体的な話に少し触れてしまったけど、原因は私にも元夫にもあったんだと思います。どちらにも非があったし、2人の力ではどうしようもなかった。原因は一つではないし、一言で簡単に説明できるものではありません。たぶん世の中の離婚の多くがそうなんじゃないかな。この記事は、誰かを責める意図で書いたものではないことをご理解いただけたら嬉しいです。