みけ猫のロック

駆け出し漫画家と、占星術な日々

世に出ていくということ/太陽を生きる。

ものを作って世に出すと、必ず誰かからバカにされます。

 

どうしても野次は避けられない。
信用していた友人が、いつの間にか野次を飛ばす側になっていたりする。

でも世に出すとは、きっとそういうことなんだろう。

野次を引き受けながら作品を産み出し続けたところで、報われるかどうかの保証はない。漫画家の生き方は、ギャンブルにも似ている。いわば賭けのようなものだと思う。

 

それでも、野次を飛ばす側を選ぶのか、小さくても報われなくても産み出す側を選ぶのか。
それだけは明確に、自分自身の選択である。

それは創作だけに限らない。
要は、他人の人生ばかり見ながら生きるのか、それとも自分の人生と向き合って生きるのか。それはいつでも自分自身が選択し続けていることである。たとえどんなに忙しくても、窮していても、それは言い訳にはならない。

 

あなたはどちらの生き方を選びますか?

 

太陽を生きるということ

nico先生のもとで、心理占星術を学んでいる。漫画のキャラクター作りの参考になるという口実で始めたけれど、9割は純粋な好奇心だ。まだまだ初学者ではあるが、いわゆる占いにとどまらない、人間学を学んでいると感じる。

 

占星術では自分の生きる目的を定め、それに向かって生きている状態を「太陽が動いている」と表現する。要は、自分の人生を生きているかどうかだと解釈している。
太陽が動いていると、ホロスコープのチャート上のすべての天体は太陽の目的を叶えるために動き出す。恒星の光に照らされて、黄道上の天体もいきいきと輝き始めるのだ。

 

逆に、自分の人生を生きていない場合には太陽は動かない。自分の太陽が輝かない場合、ホロスコープチャート上の個人天体は、他人の太陽の光を映すことになる。他人の期待や欲望、反応ばかりを受け取りながら生きるのだ。他人の輝く太陽や木星を羨みながら生きることになるのだ。
だから自分の太陽を輝かせていく過程では、必ず周囲から野次を受けるのだという。自分の太陽を生きていない人たちに、自分の太陽の輝きが届いてしまうからである。

 

初めての連載をしたとき、感想コメント欄で誹謗中傷が続いた。粘着アンチがおよそ誰なのか検討はついていたこともあり、アンチと共通の知人でもあった親友にもそれを相談していた。
だが実際には、親友だと思っていた彼女はそのアンチと裏でつながっていたのだ。友人に相談した内容はすべて、アンチにそのまま伝わっていた。
私は一度離婚をしているのだが、離婚した際にも親身になって相談に乗ってくれていた友人だった。でも私がいざ連載デビューして、単行本を出して…と漫画家の道を歩み始めたとき、彼女は水面下で間接的に私を攻撃していたのだ。

 

苦しいときにそばにいてくれる人を大切にすべきだ、という考え方が日本では一般的だと思う。だがこの件を機に、その考え方に対して懐疑的にならざるを得なかった。自分がかわいそうで惨めで苦しいときは、恩を売りたい人や他人の不幸に同情したい人たちも寄ってくる。本当に大切にすべき人は、自分が成長したり少し成功したときに一緒に喜んでくれる人たちであろう(もちろんテイカーも寄ってくるので、見極める必要があるのだが…)。

 

負の遺産を糧にしていく

とはいえ、出過ぎた杭は打たれない。私が野次を受けるのは、中途半端に前に出てしまったから。実力が足りないのに、運で連載が決まったということも大いに関係しているだろう。こんなくだらない足の引っ張り合いで筆を折るなんてしてたまるか。だから私はこれから、なんとしても「出過ぎた杭」を目指すしかない。

 

一旦以前のペンネームは捨てて、ゼロからまた作品を描き始めようと思う。もう少し強くなってから、昔のペンネームと作品も迎えにいけたらいいなと思っている。誰だって最初は素人だからね。

 

 

すべての負の体験を、前に進むエネルギーに変えよう。蠍座冥王星がライツや個人天体にバチバチに効いている、私らしい生き方だ。どんな荒波に揉まれようとも私は自分の人生を生きていくし、同じように自分の人生を生きている人を応援していけるような作品を描いていきたい。