あなたの本音が聞きたいのです。/負の体験を糧にしていくこと
SNSであえて「盛らない」自撮りを載せる若者の話を聞いた。
私の知ってるSNSといえば、(ツイッターを除いて)充実したプライベートの様子を載せるもの。Facebookなんていまや更新している人はほとんど決まっていて、仕事の話か育児日記か、単純に自己開示の好きな人か。その他大勢は結婚や出産といったイベントごとでご報告をする。ネガティブなことを書く人はほぼおらず、人生の中でもほんの上澄みのキラキラした部分だけを切り取って投稿する。
もはやそんなの、見飽きた光景だ。こんなジジババのSNSの使い方を見て嫌気がさした若者が、あえて盛らない日常を投稿するようになったんじゃないかな。
私がそうした投稿に興味がなくなってしまったのは、おそらく投稿者の本音が見えないからだ。仕事のための投稿ならともかく、お金も発生しない状況で「私はこんなにも幸せなんです!」だなんて、誰に向かってそう叫んでいるのだろう。拡声器で幸せを叫べば叫ぶほど、虚空に反響した声が返ってきて一層虚しさを際立たせるようだ。ああ、こんなこと書いたらたくさん敵を作るだろうな。でも私は、そういう本音の方が見たいんだ。
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もっともっと、私自身になっていく。/太陽回帰に思うこと
直に太陽回帰を迎える。
今日は大海原を見に行った。
実は起きてから体調が悪かったのだが、夕陽を映す海を見て吹き飛んだ。
やっぱり私は自然の景色が好きだ。家に閉じこもっているときも内省していることが多いのだが、開放的な外の空気は上向きな内省を促してくれる。
家での内省が陰の水星(乙女座)だとしたら、外での内省は陽の水星(双子座)または陰の金星(牡牛座)的という感じだろうか。
こうやって風通しの良い場所に定期的に行くことは、自分メンテナンスとして大切なことだと感じた。
去年から、太陽回帰の日には自分で自分にプレゼントを送るようにしている。今年はロングパールのネックレスにした。
続きを読む世に出ていくということ/太陽を生きる。
ものを作って世に出すと、必ず誰かからバカにされます。
どうしても野次は避けられない。
信用していた友人が、いつの間にか野次を飛ばす側になっていたりする。
でも世に出すとは、きっとそういうことなんだろう。
野次を引き受けながら作品を産み出し続けたところで、報われるかどうかの保証はない。漫画家の生き方は、ギャンブルにも似ている。いわば賭けのようなものだと思う。
それでも、野次を飛ばす側を選ぶのか、小さくても報われなくても産み出す側を選ぶのか。
それだけは明確に、自分自身の選択である。
それは創作だけに限らない。
要は、他人の人生ばかり見ながら生きるのか、それとも自分の人生と向き合って生きるのか。それはいつでも自分自身が選択し続けていることである。たとえどんなに忙しくても、窮していても、それは言い訳にはならない。
あなたはどちらの生き方を選びますか?
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孤独になろう。脱皮していこう
変わったね、と言われる。
変わってないね、とも言われる。
変わったなと思う。
全然変わってないなとも思う。
いい意味でも、悪い意味でも。
そもそも変わってしまったと思うのは、本当に相手が変わってしまったのか。
それとも自分と異なる環境で生きるようになって、価値観が離れてしまっただけなのか。
もしくは元々見えていたものが虚像に過ぎなかっただけで、今見えているものが本質なのかもしれない。その逆もあるかもしれない。
誕生日を特別な日にする試み
誕生日はいつも、なるべく平日だと思って過ごすようにしてきた。
特別な日なのに、誰からも祝われないことが怖くて予防線を張っていたのかもしれない。
予防線を張って最初から大きな期待をしないようにしておく。思えばこれは月星座が獅子座の、自意識過剰な私が傷つかないための処世術だった。
初めて結婚したときも、連載が決まったときも、単行本が出たときも、なるべく浮かれないように。調子に乗らないように。そうやって、謙虚"風"に生きてきたつもりだった。
風のように生きる人
32歳、風のように生きる人と仲良くなった。友人と呼んでいいかわからないけど、彼は「自分のことが大好き」と豪語する。人目に縛られず、自分のやりたいように生きている。だから私は彼を「風のように生きている」と思った。
一見同世代には馴染まないんじゃないかと思う彼は、全く嫌味がなく人気者だった。何せ自分の好きなように生きているから、他人にとやかく口を出すことがないのだ。俺は俺で最高、あいつはあいつで最高、みたいな。かといって深く考えていない訳ではなく、時々本質をついた発言にハッとさせられることがある。おそらく、他人に思うところがあっても干渉しないのだろう。それはきっと彼自身が干渉されることに抵抗し続け、今の彼を生きているからだと思う。
「自由って何よりも大切なことだと、俺は思ってるんだよね」
そんな彼の一言が忘れられない。
風のように遠くに引っ越していってしまった彼だが、彼の生き方や在り方は私に強いインパクトを与えていった。
良くも悪くも繊細な性分の私は彼のように生きることは難しいと思ったけど、彼の生き方を自分の人生に少しでも取り入れることができたら、もっと肩の力を抜いて生きられるようになるんじゃないか。そう感じた。
そんな彼の誕生日パーティーに参加したとき、彼は1日中「今日の俺は最強!大吉!だって誕生日だから!!」と言い続けていた。
そうだよね。
誕生日って本当は嬉しいし、自分にとって1年の中でも最も特別な1日のはずなのだ。
だから私も33歳の誕生日は、特別な1日として丁重に扱うことにしたのだ。
誰からも祝われなくても構わないから、せめて自分だけは盛大に自分をお祝いしてあげよう、と。
自分のために買ったお財布
この日のために、ずっと欲しかった文庫革の財布を買った。
世の中の人がどれだけ財布に予算を割いているのかいまいちわからないけど、私はずっと財布にこだわりのない人間だった。
そんな私が初めて欲しいと惹かれた、伝統工芸の文庫革の財布。
正直財布にお金を使うことに抵抗があったけど、思い切って買った。
自分への誕生日プレゼント!と思って買い物したことは過去にもあったような気がするけど、全部忘れてしまった。今回は特別「自分への誕生日プレゼントを買う」という気持ちで購入したから、ずっと覚えていると思う。
なにせこの1年は本当によく働いた。人生でいちばんがむしゃらに働いて、いちばん稼いだ1年だった。この稼ぎで次の連載まで食い繋いでいかなきゃいけないと考えるとまあ、そこまでたくさん稼いだとは言えないのだけど、新卒からずっと真面目に働いているのにワーキングプアだった身としては、経済革命のような1年であった。
自分が欲しいと思ったものを、自分のお金で買えるという喜び。
遅まきながら、この財布を買うことでことさらそれを実感できたように思うのだ。
私は自分で自分を喜ばせることのできる人間でありたい。
自分で自分を満たせる人間でありたい。
そしたらきっと、誰かを満たすこともできると思うから。
33歳の誕生日に買った、ラッキーアイテムのお財布。
普通の革財布と違うけど、短くても3年は使えるだろうと考えると、きっと35歳はこの財布と共に迎えることになるだろう。
35歳。どうなっているかな。
35歳の誕生日も特別な日として自分で祝ってあげられるようにするためにも、まずは33歳の1年間をしっかり頑張ろうと思った。
まだ見ぬ私をつくるのも守るのも、今の私だけなのだから。